ワーホリ帰国後、30歳にして初めての転職活動を行い、3社から内定を頂きました。

その中からITベンチャー企業に入社をして、4年間勤務の後に上場大企業に転職(この数年後にこの会社も離れることになります)。

こときに年収は320万円→600万円とほぼ倍に跳ね上がりました。

この記事では私の34歳での転職活動を詳しく書いていきます。

「年収が低すぎて生活が苦しい」

「ちゃんと実績を残しているはずなのに評価されない」

「会社の先行きがヤバい」

など転職しようか悩んでいる方の支えになればと思います。

帰国後1社の業務内容

海外放浪後に日本に帰国して最初に転職したのはWebの制作会社。

企業のウェブサイトを作ったり、ネット広告を請け負う会社で言ってみれば広告代理店のような会社です。私は営業職(プランナー)としての採用となりました。

Web制作会社の基本データ
  • 社員数 50名弱
  • 資本金 3,000万円
  • 年商 5億円前後

海外放浪に行く前は、 工業用資材を販売する会社で営業を行っていました。

全く違う業界へと転職することになりましたが、法人営業の経験を買われてのことでした。

プランナーの仕事内容は、

  • クライアント企業へのWeb制作、Webマーケティング施策の提案
  • 受注後はプロジェクト立ち上げ
  • プロジェクトマネージャーとしてメンバーアサイン、タスク管理、予算管理、外部協力会社との調整などを行う

といったことです。細かく書くと長くなるのでざっくりとした仕事内容です。

なぜWeb制作会社に転職したのか?

ずばり「これからの時代はIT/デジタルを駆使しないと勝てない」と考えていたためです。

転職前までは足で稼ぐ営業でしたが、Web・SNS・アプリといったデジタルで接点を築き、アプローチを行う営業スタイルが主流になるだろうと考え、そこで活躍できる力を身につけるべきだと思っていました。

ここで培った経験・知識・スキルを軸にこの後も転職を重ねていくことになりますが、内定は獲得しやすく、年収も右肩上がりなので、このときの”読み”は正しかったと考えています。

Web制作会社での年収推移

一般的にWeb制作会社の年収は低水準です。これほどWebマーケティング・デジタル活用が重要視されているにも関わらずです。

私のWeb制作会社での年収推移は次の通りでした。

1年目 400万円→300万円
2年目 300万円→300万円
3年目 300万円→310万円
4年目 310万円→320万円

後で詳しく書いていきますが、1年目で年収は100万円ほど下がりました。

もともと営業スキルを買われたわけですが、未経験業種でバリバリ活躍できる訳がなく、この年収ダウンは妥当だったかなと思います。

ただし、3年目、4年目以降の年収推移は今客観的になって思い返してみても到底納得できるものではなく、怒りさえこみ上げてきます(笑)

ここが大きな要因となって転職することになりました。

Web制作会社での日々

Web制作会社での日々を振り返ります。

Web制作会社1年目

業界からの転職だったので、見る物・聞く物すべてが初めてでした。

法人営業の経験を買われて採用頂いたのですが、売るべき商材も理解できておらず、見積の仕方もそれまでとは全く違う。

はっきり言って、ただの役立たずでした。

プランナーとして一人でプロジェクトを回すことはできず、別のプランナーの補佐をしながら仕事を覚える。

まるで新卒社員でしかありませんでした。いえ、新卒社員以下だったかも知れません。

即戦力を期待されていたはずが全くできない、ただの役立たず。

30歳にして・・・

会社の評価は年1回12月にあり、そこで翌1年の年収が提示されます。

そこで提示されたのは300万円。

転職時に提示された400万円から100万ダウンという大幅減俸となりました。

ただこれは納得。

海外を3年も放浪したツケが回ってきたのだと思いました。

Web制作会社2年目

31歳で仕事がまるでできない。

年収も300万円、手取りだと20万円弱といったところです。

生活するにもカツカツの状態。

さすがに危機感を抱きました。

取り組んだこと
  • 本を読む(IT・ネット・ビジネススキル関係を中心に週1冊)
  • 個人ブログを立ち上げ、アフィリエイトに取り組む
  • ビジネス関係のセミナーに通う、集まりに参加する
  • できることを増やしていく
  • 会社での発言を増やす、社内での提案を行う
  • ロジックをしっかり持つ
  • 仕事は自分で取りに行く

 

後々になって特にためになったのは個人ブログです。

Web制作を学べるし、SEOにも詳しくなり、ライティングのノウハウも得られます。

アフィリエイトでうまく行けば収益も得られます。もっともこの年はアフィリエイトでの収益はありませんでしたが・・・

1年目はプランナー補佐くらいの仕事しかできませんでしたが、プランナーとして独り立ちをして数十万円規模の小さな案件を獲得できるようにはなりました。

ただその年の評価において年収を上げることはできませんでした。

このときはまだ「自分の実力が足りていない」と思っていました。

Web制作会社3年目

比較的大きな案件を受注することができるようになりました。

受注金額ベースだと500万円〜1000万円クラスです。

個人ブログでのアフィリエイトでも、この年は100万円ほどの収益化が実現して、確定申告を行うことになりました。

個人ブログでの経験がSEOやコンバージョンアップについての知識となり、それが自信へとなっていきました。

しかし、この年の査定で年収は300万円→310万円、月収ベースで1万円アップに留まりました。

このあたりから、この会社の評価について疑問を持ち始めました。

評価制度自体にも元々疑問を持っていました。

プランナーは言ってみれば営業職です。にも関わらず売上が評価軸になっていないのです。

営業職の評価には大概「売上」「利益」といった2大定量指標が入ってるものですが、それは評価軸にない。

代わりにこの会社で評価軸となっていたのは、

  • 顧客、社内メンバーからの信頼が得られているか
  • 上司の曖昧な指示でも意図を理解して動けるのか
  • 自責の考えを持ち、他責にしていないか

といった定性的な評価軸ばかりです。

売上や利益が評価基準に入っていないのは、この会社の主な案件リードは役員の縁故によるものが多かったのがあるのかも知れません。

実はこの年、この会社のWebコンテンツ企画を計画して制作も行い、Webを起点にしたリード獲得もできるようになりました。ただし、この点もやはり評価がされていませんでした。

それもあって、あまり疑問視していませんでしたが、段々と「この評価は正当なのか?」という思いを持つようになったのです。

入社4年目

34歳となり、プランナーとしての実績も右肩上がりに伸びていきました。

大企業をクライアントに持つようになり、5,000万円ものWebサイト構築の案件の提案を担当し、クライアント重役に対してプレゼンし、受注するようになりました。

この年の私の売上は1億にも到達しようかという水準とり、確かな手応えを感じていました。

ブログのアフィリエイト収益も月10万円程度入るようになりました。思えばこれがあることで生活が何とかやっていけるレベルだったのかも知れません。

1つの失敗

ただ、この年、私は1つの失敗をしてしまうことになります。

通常は自身が提案し、受注した案件でメンバーをアサインして、プロジェクトの指揮を取ることになります。

しかし、上司が受注した案件をプロジェクトマネジメントを任されました。

その上司が古くから付き合いがある大手メーカーのWebプロモーションの案件でした。

私が任された理由は「広報系の案件を担ってもらいたい」というもの。

それまではマーケティング案件を得意として、PV数/注文数/申込数などをアップさせるという部分に強みを持っていました。

得意とは違う領域のプロジェクト。

加えて、通常であればプロジェクトに参加させるメンバーはプランナーの自分が選べるのだが、このときに限ってはメンバー選定は上司が行いました。

当時は会社は大型案件をいくつも抱えていて、社内リソースが枯渇している状態でした。

新卒社員をいきなり制作ディレクションに回したりしなければならず、本来であればお断りを入れても良い案件。

さらにクライアントはクセの強い人物がフロントにいました。

「自分の考えはすべて正しい」と強い思い込みを持つ。しかし上司に言われたら手のひらをすぐに返す。

社会人を長年続けて来られた方は、「あーいるいる」と思ってしまうタイプの人間。

Web広告を提案するもケチが付けられる、自分の力量が足りなかったのかも知れません。

その人の上席から「なかなかいい案じゃない。何がネックなの?」とツッコミが入れば、あれこれ理由を付けられる。

このようなやり取りが繰り返されることで、プロジェクトに参画しているメンバーの作業量が増えていき、徐々に疲弊してきました。

プロジェクト途中で離脱を要望するメンバーも出てきました。

毎回のように顧客から嫌味を言われ、精神的にも追い込まれていたのもあります。

この間にメンバーの補充はありません。

その分の負担は私に伸し掛かり、帰宅は連日終電間際、土日も出社という日々が半年ほど続きました。

窓口の人物には不満を言われながらも何とか納品、それでもクライアント上層部には高評価を頂き、キャンペーンサイト・広告も日の出を見ることとなりました。

上司との確執

上司との確執が明確になりました。

この上司の肝いり社内プロジェクトがありました。

企業向け製品・サービスの比較サイトを作るというもの。どこかで見たことがあるサービス。

構想に1年、開発に半年を掛けているサービス。

競合となるWebサイトは他にもたくさんあり、そこに対する戦略はほぼ皆無。

にも関わらず大量の人員をアサインして、上に書いたようなクライアント向けのプロジェクトでは極度の人員不足を発生させている始末。

この上司は会社の創業時からいる人物であったため、周りもそれほど口を出すことができません。

そんな中、上記のプロジェクトで疲弊していたこともあり、社内会議で私はこんな発言をしてしまいます。

「無駄なプロジェクトにこれ以上資源を投じるのはやめませんか?」

会議の場は凍りつきました。

「他のプロジェクトでリソースが枯渇していて、社員が疲弊している状況なのに、お金になるかも、いつローンチになるのかも分からないものにダラダラ続けるのは事業会社としておかしい」

上司も反論します。

「次の資金源となるものに投資をするのは当然だ」

「競合となるサービスがこれほどあるなかで、このサービスが選ばれる理由は?差別化要素は?」

途中で仲裁が入り、会議は終了しました。

転職活動と査定

営業職として売上を立てているものの、会社の評価制度は疑問であったため、入社3年半が経過した10月頃から転職活動を開始しました。

転職エージェントに登録して、職務経歴書を書き、エージェントにフィードバックをもらいながらブラッシュアップし、気になる会社の面接を受けました。

評価査定の12月までに3社からの内定を頂きました。

いずれの会社においてもやることは大きく変わらないまでも、年収は大幅アップの提示を頂きました。

  • 中堅広告代理店 540万円
  • Web制作会社 480万円
  • 大手マーケティングサービス 600万円

即転職しても良かったのですが、評価査定に僅かな期待を残しながら、上長面談を迎えました。

提示された年収は、
310万円→320万円

年収だけが全てではありませんが、正直、悲しくなりました。

数字で語れるだけの実績を残しながら、この評価なのかと。

上長のフィードバックでは、

受注実績は評価してもらう一方で、「上で挙げたプロジェクトでの失敗」「それ以外での細かい小さな失敗」をネチネチ指摘されました。

「なにか不満などはあるか?」と聞かれましたが、一切答えませんでした。

この時点で退職を決意していたから。

翌日、退職届を上司に叩きつけました。

“退職願”ではなく、”退職届”です。

会社の意思はもはや関係ありません。退職をするという私の強い意思の現れです。

すぐに上長だけでなく社長を交えた面談がセットされました。

社長「退職したい理由を教えてもらえないか?」

僕「逆に何だと思いますか?」

上司「それが分からないから聞いているんだ」

僕「全く分からないなら、それが理由です。社員を理解しようとしないことです」

社長「僕は多分、評価のことだと思う。君の実績に対して提示する年収はちょっと低すぎたかなと思っている。」

ここで社長から改めて評価が出されました。

年収400万円

お金がすべてではないですが、会社に失望しました。

退職届を取り下げることはしません。

唯一、この会社の救いだったのは人事担当者がまともだったこと。

有給は全消化させてもらうことができました。

この後、大手マーケティングサービス会社に転職をすることになります。

このときに悟ったのは数字で語れる実績がありながら、評価されないなら転職時かも知れません。

転職は行動するか否か

中には私よりも辛い経験をしてる方も多いでしょう。

長年に渡って数字で語れる実績を残しながらも評価されない方もいらっしゃるでしょう。

転職は勇気がいる行動ですが、大きな不満を抱えながら日々を過ごすより、踏み出すことで得られるものも多く、さらには精神的に充実した健康的な日々が送れます。